〈直江信綱〉春日山城での横死(1581)

天正9年9月9日、毛利秀広が山崎秀仙を斬殺し、同席の信綱も殺された——事件の発生・日付・死者は史実。動機は(a)御館の乱の恩賞不満説(毛利秀広の伝記的記述)と、(b)天正9年4月に病没した河田長親の遺領配分をめぐる諍い説(信綱の事典的記述)が併存する。両説は矛盾せず、複合要因とみるのが穏当。標的は秀仙で信綱は巻き添えとする理解が一般的だが、信綱自身も配分に関与した奉行であり、標的の一人だった可能性も排除できない。

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