〈甘粕景継〉「故あって自害」— 最期の謎
慶長16年(1611)5月12日死去(藩記録)。寛永10年(1633)の「甘糟家先祖書」は「ゆえあって自害」と記し、6,600石は取り潰されたとするが、理由は書かれていない。死後22年の家伝であり真偽は不明。藩主の代替わり(1624)でようやく遺児の復帰が許された経過は、景勝存命中に何らかの咎めがあった可能性を示唆するが、推測の域を出ない。
慶長16年(1611)5月12日死去(藩記録)。寛永10年(1633)の「甘糟家先祖書」は「ゆえあって自害」と記し、6,600石は取り潰されたとするが、理由は書かれていない。死後22年の家伝であり真偽は不明。藩主の代替わり(1624)でようやく遺児の復帰が許された経過は、景勝存命中に何らかの咎めがあった可能性を示唆するが、推測の域を出ない。