〈鈴木重秀〉「孫一」は一人ではない——複数人問題
石山合戦の「孫一」=重秀は本願寺文書の自署からほぼ確実。だが伏見城で鳥居元忠を討った「孫一」は別人の鈴木重朝で、その家譜は先祖を「其先未詳」と記し、重秀との続柄(子か弟か)は不明。神坂次郎説は重朝=重秀同一人物、『和歌山市史』(1991)は石山合戦期に限れば単一人物とする。流布する「孫市の生涯」は少なくとも二人以上の事跡の合成である。
石山合戦の「孫一」=重秀は本願寺文書の自署からほぼ確実。だが伏見城で鳥居元忠を討った「孫一」は別人の鈴木重朝で、その家譜は先祖を「其先未詳」と記し、重秀との続柄(子か弟か)は不明。神坂次郎説は重朝=重秀同一人物、『和歌山市史』(1991)は石山合戦期に限れば単一人物とする。流布する「孫市の生涯」は少なくとも二人以上の事跡の合成である。