〈小笠原貞慶〉石川数正出奔の引き金は貞慶だった?

天正13年(1585)の徳川離反自体は史実。従来は「数正出奔で人質を握られたから従った」とされたが、柴裕之「石川康輝(数正)出奔の政治背景」(『戦国史研究』60号、2010)は貞慶の豊臣内通の発覚が取次・数正の失脚と出奔を招いたと論じる。『三河物語』等は数正籠絡先行説を記し、順序は未決着。

関連

〈小笠原貞慶〉石川数正出奔の引き金は貞慶だった? | デジタル城下町 お城図鑑