〈小笠原長時〉流浪の経路 — 越後か、伊那か
林城喪失直後の足取りは「二木家記」(越後へ)と「笠系大成」(弟・信定のもとへ)で食い違い、確定しない。弘治元年(1555)の上洛以降は『言継卿記』という一級史料で上方滞在が確認できる。大筋の「流浪」は史実だが、通俗書が描く年次確定的な移動経路は史料的に埋まらない部分が多い。
林城喪失直後の足取りは「二木家記」(越後へ)と「笠系大成」(弟・信定のもとへ)で食い違い、確定しない。弘治元年(1555)の上洛以降は『言継卿記』という一級史料で上方滞在が確認できる。大筋の「流浪」は史実だが、通俗書が描く年次確定的な移動経路は史料的に埋まらない部分が多い。