〈真田信尹〉夏の陣後、信繁の首実検を行った

信尹が首を検分したとする話は『秦政録』に見えるが、『武徳編年集成』『幸村君伝記』には「信繁かどうか分からない」と言い張ったとする逆の内容があり、文献間で食い違う。「顔を知る肉親として呼ばれた」状況には一定の蓋然性があるが、「甥の名誉を守るためとぼけた」という解釈は完全に後世の想像。

関連

〈真田信尹〉夏の陣後、信繁の首実検を行った | デジタル城下町 お城図鑑