〈蠣崎慶広〉九戸政実の乱にアイヌの兵と毒矢部隊で参陣した
天正19年(1591)の九戸討伐軍への参加は複数史料から史実と認められ、豊臣政権の軍役体系に「蝦夷島主」として組み込まれたことを示す。ただしアイヌの毒矢(トリカブト)の威力を記す『三河後風土記』は江戸期の編纂軍記で、動員規模など細部の信頼性は低い。アイヌの武力を「見せる」ことで中央での存在感を高めた構図が指摘される。初出:『三河後風土記』『新羅之記録』。
天正19年(1591)の九戸討伐軍への参加は複数史料から史実と認められ、豊臣政権の軍役体系に「蝦夷島主」として組み込まれたことを示す。ただしアイヌの毒矢(トリカブト)の威力を記す『三河後風土記』は江戸期の編纂軍記で、動員規模など細部の信頼性は低い。アイヌの武力を「見せる」ことで中央での存在感を高めた構図が指摘される。初出:『三河後風土記』『新羅之記録』。