〈蠣崎慶広〉蠣崎氏はコシャマインの戦いの武田信広に始まる
コシャマインの蜂起(1457)と和人側の勝利は史実で、勝山館跡(国史跡)の発掘が15世紀後半以降の蠣崎氏の実在を裏づける。だが「若狭武田氏出身の貴種・信広が父子を射殺した」英雄譚は『新羅之記録』の家伝で、若狭武田氏側の史料に信広は確認できない。下北半島の蠣崎出身の武士とみる説もある。初出:『新羅之記録』。
コシャマインの蜂起(1457)と和人側の勝利は史実で、勝山館跡(国史跡)の発掘が15世紀後半以降の蠣崎氏の実在を裏づける。だが「若狭武田氏出身の貴種・信広が父子を射殺した」英雄譚は『新羅之記録』の家伝で、若狭武田氏側の史料に信広は確認できない。下北半島の蠣崎出身の武士とみる説もある。初出:『新羅之記録』。