〈南部信直〉津軽為信の独立を「みすみす許した」

津軽三郡を為信に切り取られたこと自体は動かない史実。ただし経緯は南部側と津軽側の記録が大きく食い違い、南部側が伝える「弟・政信の毒殺」譚は年代的に成立が疑わしいとの指摘がある。天正16年(1588)の浪岡城陥落時には救援動員をかけたが九戸氏らが応じず時機を逸したと伝わり、「臆病で見捨てた」のではなく家中統制が効かず動けなかったというのが実態に近い。

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