〈斯波詮直〉そもそも「斯波詮直」という名は正しいのか
『奥南落穂集』は「詮直(初名詮基)」とするが、『続群書類従』所収「奥州斯波系図」に詮直の名はなく滅亡時当主を「詮森」とし、「大萱生系図」は「詮元」の代の滅亡とする。別の文献は当主を民部大輔「家政」とし、近藤安太郎は「家政=詮森か」と推定。『岩手県史』は「詮元(=詮直・詮基)の代に滅亡し、子に詮森、孫に詮国」と整理する。「1588年頃に滅ぼされた最後の当主」の存在は確実だが、実名は確定できない——この史料的限界自体が、この人物について最も誠実に伝えるべき点である。初出:各系図(Wikipediaが整理)。