〈最上義光〉駒姫の悲劇 — 赦免の早馬は一町差で間に合わなかった

文禄4年(1595)8月2日、秀次事件に連座した次女・駒姫(15歳)が三条河原で処刑されたことは『言経卿記』など同時代の公家日記が伝える史実。だが「秀吉の赦免の早馬が刑場まで一町(約100m)の差で間に合わなかった」という細部は『太閤記』系の記述が初出で劇的脚色の疑いがある。義光が専称寺を移して娘を弔ったことは史実。

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