〈相馬盛胤〉「政宗と和睦した」のか

1583–84年の和睦の相手は当主・輝宗であり(政宗は元服直後)、「政宗との和睦」ではない。その後の人取橋(1585)・郡山合戦(1588)・駒ヶ嶺喪失(1589)を経て相馬は滅亡寸前となり、政宗との戦争を終わらせたのは和睦ではなく、天正18年(1590)の秀吉による私戦禁止(惣無事)である。「輝宗とは田村仲介で和睦、政宗とは天下統一で強制終了」と書き分けるのが正しい。

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