〈有馬義貞〉家督喪失の理由 — 敗戦失脚か、父による追放か

(a)イエズス会史料(フロイス『日本史』9巻、『イエズス会士日本通信』)は、布教をめぐる混乱で父・晴純が反キリスト教に転じ、永禄7年(1564)に義貞を追放し家督を剥奪したと伝える。(b)丸島和洋氏(1999・2022)は丹坂峠敗戦を直接の契機とし、永禄6年(1563)に義純が家督継承したとみる(家譜類の1570年譲位説は誤りと判断)。両説は排他的ではなく、「敗戦で権威を失った義貞が、布教問題も重なって排除された」と統合的に理解する余地もある。いずれにせよ「1552年から1570年まで一貫して当主」という単純な通説像は成り立たない。

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