〈有馬義貞〉父の代は「五州二島の太守」だった

晴純が藤津・杵島・彼杵方面へ拡大し婚姻・養子網で肥前南部に覇を唱えたことは同時代史料が裏付ける。だが「五州二島」の表現は『藤原有馬世譜』など近世系譜類由来で、丸島和洋氏(2022)は有馬氏の「由緒主張」(自己宣伝)の側面を指摘。実効支配の範囲としては誇張を含む。

関連

〈有馬義貞〉父の代は「五州二島の太守」だった | デジタル城下町 お城図鑑