〈相良義陽〉甲斐宗運との「不戦の誓い」と誓書焼き捨て
相良・阿蘇両氏が永禄8年(1565)の御船会盟など長年の同盟関係にあり、義陽と宗運が誓詞を交わした盟友とされることは双方の伝承が一致する。だが誓詞現物は伝存せず、白木妙見社で誓書を焼き「己の死」と子孫の繁栄を祈ったという劇的な場面は『南藤蔓綿録』系の後世編纂物が初出。文学的脚色を含む可能性が高い。
相良・阿蘇両氏が永禄8年(1565)の御船会盟など長年の同盟関係にあり、義陽と宗運が誓詞を交わした盟友とされることは双方の伝承が一致する。だが誓詞現物は伝存せず、白木妙見社で誓書を焼き「己の死」と子孫の繁栄を祈ったという劇的な場面は『南藤蔓綿録』系の後世編纂物が初出。文学的脚色を含む可能性が高い。