〈相良義陽〉将軍から「義」の字をもらい、大友・島津が猛抗議
永禄7年(1564)の偏諱「義」と従四位下修理大夫は文書で確認できる史実。家格を超えた叙任に大友氏は本格的に抗議し、義陽は長く旧名「頼房」を使わざるを得なかった。ただし「島津の抗議」は相良側史料から確認できないとの指摘があり、中間の名乗り「義頼」も発給文書では未確認(小久保嘉紀2016)。
永禄7年(1564)の偏諱「義」と従四位下修理大夫は文書で確認できる史実。家格を超えた叙任に大友氏は本格的に抗議し、義陽は長く旧名「頼房」を使わざるを得なかった。ただし「島津の抗議」は相良側史料から確認できないとの指摘があり、中間の名乗り「義頼」も発給文書では未確認(小久保嘉紀2016)。