〈田原親賢〉嫡男・新七郎の横死

永禄8年(1565)頃、実子・新七郎は人質の麻生七郎を日頃虐げた恨みから刺殺され、七郎も直後に切腹したと伝わる。翌年、七郎の父・麻生親政が反旗を翻すと親賢は自らこれを攻め滅ぼした。経緯の細部を裏付ける一次史料は限られる。実子の喪失が親虎・親盛と続く養子縁組の背景となった。初出は『戦国人名辞典』所収の伝など。

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