〈田原親賢〉外戚の縁だけで出世した

加判衆就任(1565)、臼杵鑑速死後の国政掌握、「所領家中随一・兵7,000」(フロイス)など権勢自体は同時代史料で裏付けられる。だが門司城攻防や豊前の反乱鎮圧など軍歴を伴う台頭であり、「縁故のみの壟断」像は耳川敗戦から遡って強調されたもの。初出はフロイス『日本史』・佐田文書ほか、否定的評価の増幅は『大友興廃記』等の江戸期軍記。

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