〈三木直頼〉晩年の江馬時経との覇権争いと和解
家督継承直後の戦乱(1516–17)や安国寺兵乱(1544、江馬氏の関与が推定)から両氏の緊張は読み取れるが、「晩年に覇権を争い、時経の死後に和解した」という通説の筋書きを個々の合戦で裏付ける一次史料は乏しい。安国寺兵乱も直頼側の書状(三木新九郎らを三仏寺に駐屯させた、越中衆出陣の噂がある)が残るのみ。対立と共存の繰り返し自体は婚姻・援軍の記録から確実である。
家督継承直後の戦乱(1516–17)や安国寺兵乱(1544、江馬氏の関与が推定)から両氏の緊張は読み取れるが、「晩年に覇権を争い、時経の死後に和解した」という通説の筋書きを個々の合戦で裏付ける一次史料は乏しい。安国寺兵乱も直頼側の書状(三木新九郎らを三仏寺に駐屯させた、越中衆出陣の噂がある)が残るのみ。対立と共存の繰り返し自体は婚姻・援軍の記録から確実である。