〈赤井直正〉死因は病か、信長の毒殺か

天正6年(1578)3月9日の死去は史実で、死因は「首切り疔」(首の悪性腫瘍)と伝わる(高橋成計)。江戸期の『兵家茶話』は「京都から招いた外科医が信長の命で毒殺したとの噂」を記すが、同時代史料にはない伝説・俗説。一方、死の直後に光秀が丹波国衆へ出撃予告の書状を送っていることから「光秀による暗殺の可能性も否定できない」とする研究者の指摘(仁木宏)もあり、こちらは諸説の域にある。

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