〈波多野秀治〉第一次丹波攻め撃退と「赤井の呼び込み軍法」

天正4年1月15日、黒井城を包囲する明智軍の背後を波多野軍が突き、赤井直正と挟撃して大敗・敗走させたことは史実(第一次黒井城の戦い)。だがこれを両者が最初から仕組んだ「呼び込み軍法」と呼ぶのは後世の軍記的呼称で、事前共謀を示す一次史料はない。包囲2か月以上を経ての離反であり、戦況を見た政治判断とみる研究者も多い。挟撃の鮮やかさは事実で、秀治最大の武功である。

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