〈長宗我部国親〉父・兼序は岡豊落城で自害した

通説の典拠は『長元物語』『土佐物語』など家臣系記録・軍記。しかし近年の研究では、兼序は落城時に自害せず土佐国内に亡命し、永正8年(1511)に本山・山田氏と和睦して岡豊城主に復帰、永正15年(1518)頃に国親へ家督を譲ったとする生存説が有力化している。「悲劇の父」は再興物語の起点だが、その起点自体が揺らいでいる。岡豊城の落城と一族の一時没落そのものは史実とみてよい。

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