〈長宗我部信親〉家臣・領民に「父母のように」慕われた

直接の典拠は『土佐物語』の「国人自ら敬い馴れ懐く事、父母の思」で、軍記による顕彰的記述。ただし戦死直後から土佐で深い悲嘆が伝えられ、敵地・豊後でも墓・荼毘塚・鎧塚が守られ、400年後の現在まで「大野川合戦まつり」で供養が続くことは、広く死を惜しまれた人物だったことの傍証になる。

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