〈大野治胤〉「橙武者」と嘲られた
野田・福島での豊臣水軍の敗北(慶長19年11月29日)は徳川方の記録から確実。だが「橙武者」(正月飾りの橙のように見た目は立派だが食えない)の語は大坂の陣関連の逸話集・軍記由来で、一般には薄田兼相の渾名として有名だが、もともと薄田と治胤の両名を指したとされる。同時代の評判かは検証困難。
野田・福島での豊臣水軍の敗北(慶長19年11月29日)は徳川方の記録から確実。だが「橙武者」(正月飾りの橙のように見た目は立派だが食えない)の語は大坂の陣関連の逸話集・軍記由来で、一般には薄田兼相の渾名として有名だが、もともと薄田と治胤の両名を指したとされる。同時代の評判かは検証困難。