〈小西行長〉商人の子から肥後20万石へ

堺商人の子が20万石級の大名になったこと自体は確実。フロイス1584年書簡が「羽柴の海軍の司令官」と明記し、水軍・兵站の実務能力による抜擢を裏付ける。宇喜多直家に見出された経緯は『岡山市史』等後世の編纂に拠り細部は諸説。「24万石」は俗流の数字で、研究上は約20万石+天草1万石。

関連

〈小西行長〉商人の子から肥後20万石へ | デジタル城下町 お城図鑑