〈加藤清正〉賤ヶ岳の七本槍

山路正国を討ち取り感状と約3,000石を得たことは史実。だが「七本槍」という括りの初出は江戸初期の『甫庵太閤記』。実際に感状・加増を受けた旗本は9人おり、当日戦死した石川一光らが省かれて語呂の良い「七」に整理された。福島正則がこの呼ばわりを嫌ったという逸話も後世のもの。

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