〈前田利長〉死因 — 梅毒か、服毒か、毒殺か
一次史料に最も近いのは「腫物」を長く患った記録(秀忠書状・利長自筆書状)。『慶長年録』は「唐瘡(梅毒)の煩い」と記し、これが現状最有力(見瀬和雄氏)。服毒自殺説は死後105年の『懐恵夜話』(1719)が典拠で史料的価値に疑問があり、幕府毒殺説は大坂の陣直前という時期から生まれた憶測で根拠を欠く。
一次史料に最も近いのは「腫物」を長く患った記録(秀忠書状・利長自筆書状)。『慶長年録』は「唐瘡(梅毒)の煩い」と記し、これが現状最有力(見瀬和雄氏)。服毒自殺説は死後105年の『懐恵夜話』(1719)が典拠で史料的価値に疑問があり、幕府毒殺説は大坂の陣直前という時期から生まれた憶測で根拠を欠く。