〈佐久間信盛〉本願寺攻め司令官の5年間は「無為」だったか

折檻状第1条は「天王寺に5年在城しながら何の功績もない」と断じるが、この間も雑賀攻め・信貴山城攻め・播磨出陣・高山右近調略など各所へ転戦している。本願寺は毛利の海上補給に支えられた10年戦争の相手で、最終解決も武力でなく朝廷仲介の講和だった。膠着を信盛個人の怠慢のみに帰すのは一方的との再評価が近年有力(谷口克広ほか)。

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