〈細川忠興〉関ヶ原で首級136を挙げた

会津征伐から反転し、岐阜城攻め・関ヶ原本戦で黒田長政らとともに石田隊正面で戦ったことは諸大名の記録から確実。ただし「首級136」は『綿考輯録』系の家記の数字で、誇張の可能性がある。戦後の豊前約40万石への大加増は、本人の軍功にガラシャの「忠節」と幽斎の田辺城籠城(西軍1万5千を釘付け)の功が併せて評価されたものだ。

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