〈細川忠興〉ガラシャの改宗に激怒し、侍女の耳鼻を削いだ

受洗(1587)を知った忠興が激怒し、キリシタンの侍女に苛烈な制裁を加えて追放したという話は、オルガンティノ書簡などイエズス会報告に類似の記述がある。同時代性は高いが、布教上の脚色(迫害に耐える信者の美化)の可能性も指摘される。忠興が禁教期に領内のキリシタンを苛烈に弾圧したこと自体は後年の記録から確認できる。

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