〈松永久秀〉三悪その三「東大寺の大仏を焼いた」
永禄10年(1567)の東大寺大仏殿の戦いの最中に大仏殿が焼失したのは事実。だが火元は、『多聞院日記』の穀屋付近からの失火説(近年有力)、フロイス『日本史』の三好方キリシタン兵放火説、火矢説などが対立する。「久秀が大仏を狙って焼き討ちした」ことを示す同時代史料はなく、奈良を本拠とした久秀に動機も乏しい。焼失後の再建への関与を指摘する研究もある。
永禄10年(1567)の東大寺大仏殿の戦いの最中に大仏殿が焼失したのは事実。だが火元は、『多聞院日記』の穀屋付近からの失火説(近年有力)、フロイス『日本史』の三好方キリシタン兵放火説、火矢説などが対立する。「久秀が大仏を狙って焼き討ちした」ことを示す同時代史料はなく、奈良を本拠とした久秀に動機も乏しい。焼失後の再建への関与を指摘する研究もある。