〈教如〉大坂本願寺は教如が焼いた
退去直後の天正8年8月2日、堂舎と寺内町が「二日一夜」燃え続けたことは史実。だが『多聞院日記』(8月5日条)は教如方の意図的放火とみなし、『信長公記』は松明の火が西風で燃え広がった失火とする。自焼説と偶発火災説が併存し、確定していない——顕如ページの判定と同じである。
退去直後の天正8年8月2日、堂舎と寺内町が「二日一夜」燃え続けたことは史実。だが『多聞院日記』(8月5日条)は教如方の意図的放火とみなし、『信長公記』は松明の火が西風で燃え広がった失火とする。自焼説と偶発火災説が併存し、確定していない——顕如ページの判定と同じである。