〈毛利隆元〉実権ゼロの傀儡当主だった

最終決定権が元就にあったのは確かだが、単純な傀儡ではない。連署状の署名位置逆転(1547)で形式上の家督移動が確認でき(秋山伸隆説)、直属の五奉行が機能して派閥対立が生じるほど独自基盤を持ち、対大友戦線は単独で担当した。近年は「二頭体制」と評価される。

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