〈毛利隆元〉和智誠春に毒殺された

永禄6年8月3日晩の饗応後に発病し翌朝死去したことは『稿本もりのしげり』等で確認できる。状況証拠は、饗応に近侍した赤川元保(1567)と饗応主・和智誠春(1569)が元就の意向で誅殺された事実(河合正治『安芸毛利一族』)。だが食傷説も古くから有力で、誠春は隆元死後も約5年半毛利に従い続けており暗殺者としては不自然との指摘(渡邊大門氏)もある。真相は不明。

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