〈島左近〉筒井定次のもとを出奔した理由

「酒色に溺れる定次を見限った」は定次改易(1608)後に形成された暗君像に引きずられた俗説。水利争いで定次が対立相手に有利な裁定をしたためとする説が有力視される。出奔後の慶長3年にも定次に馬を贈った記録があり、単純な絶縁物語は成り立たない。

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