〈立花宗茂〉島原の乱で夜襲を予見した

寛永15年(1638)、数え72歳での島原の乱参陣と松平信綱の補佐は幕府側記録から確実。「夜襲予見の的中」「原城一番乗り」「武神再来の称賛」等は家伝・逸話集由来で裏づけが取りにくい。実務は兵糧攻めの進言など軍議面が中心だったとみられる。

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