〈明智光秀〉「三日天下」

実際は変から山崎敗死まで11日間(数え方で12–13日)。「三日」は語呂による江戸期以降の俗称である。しかもこの間、光秀は朝廷への献金、京都の地子銭免除、諸大名への協力要請など「天下人」の実務を行っており、空白の11日間ではなかった。

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