〈浅井長政〉「朝倉を攻めない」盟約があったから裏切った

盟約の初出は江戸期軍記『浅井三代記』などで、同時代文書に裏付けは一切ない。婚姻当時、織田と朝倉は公然と敵対しておらず誓約の必然性も薄い。近年は朝倉滅亡後の浅井排除への危機感や従属化への反発など複合要因説が有力。離反自体は史実である。

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