〈武田信玄〉山本勘助は実在したのか

明治以降「架空の人物」とされたが、1969年紹介の市河家文書(信玄書状に使者「山本菅助」の名)で実在が確認され、2000年代以降の真下家・沼津山本家文書の研究で一族の活動も判明した。ただし隻眼跛足の異相・築城の名手・啄木鳥戦法献策といった「伝説の軍師」像は『甲陽軍鑑』と江戸期軍学の脚色で、実像は使者・武者奉行クラスの実務家臣。第四次川中島での戦死は事実の可能性が高い。

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