〈鮎川盛長〉天正元年(1573)、春日山城の三つの郭の門普請を担当した史実盛長が山浦氏とともに実城・二の郭・三の郭の門を造営したことは、武家家伝(播磨屋)・闇戦研などが普請関係の記録に基づき伝える。国人でありながら本城の普請を分担したことは、謙信政権下での鮎川氏の位置を示す好例。関連鮎川盛長