〈菊池義武〉二階崩れの変後の再挙兵と隈本城奪還(1550)

義鑑横死の直後の隈本城復帰、肥後・筑後南部国衆との連合、義鎮による「義絶」表明と隈本城落城は、大友・相良双方の史料から裏付けられる。ただし討伐軍「2万」という兵数は後世の軍記的数字で諸説。島原への逃走ルート(金峰山〜河内経由)は菊池市公式サイト等の伝えで細部は諸説。

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