〈豊臣秀長〉「大和100万石」の実高は73万4千石
天正13年(1585)閏8月、大和・紀伊・和泉(+河内の一部)を領して郡山城に入った。「100万石」(約110余万石とも)は呼称であり、文禄検地帳による実高は73万4千石。それでも徳川家康・毛利輝元らに次ぐ屈指の大領で、政権中枢の「畿内の要」を弟が固める配置だった。
天正13年(1585)閏8月、大和・紀伊・和泉(+河内の一部)を領して郡山城に入った。「100万石」(約110余万石とも)は呼称であり、文禄検地帳による実高は73万4千石。それでも徳川家康・毛利輝元らに次ぐ屈指の大領で、政権中枢の「畿内の要」を弟が固める配置だった。