〈豊臣秀長〉九州平定を決めた根白坂の戦い
天正15年(1587)、日向方面軍の総大将として高城を包囲。島津義弘らの夜襲を宮部継潤・藤堂高虎らの働きで撃退し、島津氏を薩摩へ後退させた。島津家久は講和のため秀長の陣を訪れており、九州平定の軍事的決着をつけたのは実質的に秀長軍だった。島津家側史料(『旧記雑録』)や豊臣方の書状群で裏付けられる。
天正15年(1587)、日向方面軍の総大将として高城を包囲。島津義弘らの夜襲を宮部継潤・藤堂高虎らの働きで撃退し、島津氏を薩摩へ後退させた。島津家久は講和のため秀長の陣を訪れており、九州平定の軍事的決着をつけたのは実質的に秀長軍だった。島津家側史料(『旧記雑録』)や豊臣方の書状群で裏付けられる。