〈一柳直末〉秀次が母らくに、ひらがなの知行宛行状を与えた
直末戦死後、豊臣秀次はその死を悼み、直末の母らくに800石の知行地を与えた。このときの所領宛行状は女性宛のためほとんど漢字を使わずひらがなで書かれており、『一柳文書』として現存する。戦死者遺族への豊臣政権の処遇を示す貴重な史料。初出は『一柳文書』(秀次朱印状)。
直末戦死後、豊臣秀次はその死を悼み、直末の母らくに800石の知行地を与えた。このときの所領宛行状は女性宛のためほとんど漢字を使わずひらがなで書かれており、『一柳文書』として現存する。戦死者遺族への豊臣政権の処遇を示す貴重な史料。初出は『一柳文書』(秀次朱印状)。