〈高坂昌信(春日虎綱)〉最後の仕事は上杉との同盟交渉だった
天正6年(1578)、謙信急死後の御館の乱に際し、虎綱は武田信豊とともに上杉景勝との取次を務め、甲越同盟交渉の武田側窓口となったことが文書で確認される。20年以上上杉と対峙し続けた武将が、最期に上杉との和睦を仲介していたという事実は、どんな軍記の名場面よりも劇的である。
天正6年(1578)、謙信急死後の御館の乱に際し、虎綱は武田信豊とともに上杉景勝との取次を務め、甲越同盟交渉の武田側窓口となったことが文書で確認される。20年以上上杉と対峙し続けた武将が、最期に上杉との和睦を仲介していたという事実は、どんな軍記の名場面よりも劇的である。