〈山本勘助〉明治24年、「勘助は実在しない」と断じられた

明治24年(1891年)、東京帝国大学の田中義成は『甲陽軍鑑』を小幡景憲の仮託・創作の書と断じ、勘助は「山県昌景配下の身分の低い一兵卒」に過ぎず、その活躍は子孫が誇大に飾ったものと論じた。以後、近代史学では「軍師勘助」は武蔵坊弁慶と同類の英雄伝説とみなされ、実在自体を疑う見方が通説化した。

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