〈石川家成〉死後、大樹寺塔頭・善揚院で荼毘に付された

慶長14年(1609)の死後、遺骸は松平・徳川家菩提寺である岡崎・大樹寺の塔頭善揚院で荼毘に付されたと伝わる。大正7年(1918)には旧亀山藩(伊勢亀山藩石川家)ゆかりの亀山同盟報徳会により「石川家成公荼毘之碑」が建立された。子孫の石川家が伊勢亀山藩主として明治維新まで続いたことが、近代の顕彰につながった。

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