〈石川家成〉掛川城主就任と同時に、西三河旗頭を甥・数正に譲った

永禄12年(1569)、今川氏真の没落後に家成が遠江掛川城主に任じられ、同年、西三河旗頭を甥の数正に譲ったことは『寛政重修諸家譜』等に基づく通説である(川口素生『戦国軍師人名事典』も同旨)。旗頭の地位が叔父から甥へ、石川一族内で継承された点が重要で、数正の岡崎城代・西三河旗頭としての立場はこの継承に始まる。

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