〈石川家成〉三備の軍制で西三河旗頭となり、酒井忠次と並び立った

永禄8〜10年(1565〜1567)頃、家康が家臣団を東三河衆(旗頭・酒井忠次)、西三河衆(旗頭・石川家成)、旗本備の三手に編成した「三備」は、『三河物語』等の記述に基づき通説として確立している。旗頭は所属国衆を軍事指揮下に置く方面軍司令官であり、家成は徳川四天王筆頭の忠次と同格の地位にあった。

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