〈北条高広〉後北条氏が「喜多条」と表記して区別した

永禄10年の離反時、後北条氏発給文書で高広の家が「喜多条」と表記された例が確認される。同姓の混乱を避ける実務的措置で、「きたじょう」と「ほうじょう」が別族であることを同時代人も意識していた好例。

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